摩尼山醫光寺(富津市)

 富津市の富津地区にある醫光寺は上総國薬師如来霊場の第7番、新上総國三十三観音霊場第22番等の札所になっており、それぞれの御朱印があります。また地蔵菩薩の御朱印もあります。写真の御朱印は上総國薬師霊場の第7番のもので、御本尊の薬師如来(やくしにょらい)の文字が記されています。
 醫光寺の正式な寺名は摩尼山高源院醫光寺(まにさんこうげんいんいこうじ)で、開祖は不詳ですが、飛鳥時代の和銅2(709)年に開山され、天和2(1682)年に範順僧侶により再興されたと伝えてられています。範順僧侶を中興の祖とし、現在まで23代、その法灯を引き継いでいる真言宗智山派の寺院です。
 御本尊は行基菩薩作の薬師如来で、12年に一度、寅年の春に御開帳されます。醫光寺の縁起によれば、御本尊の薬師如来について、次のように伝えられています。
 富津周辺で疫病が流行していた開山当時、光を放つ木が数十日間、下州浦の沖合に流れていました。不思議に思った漁師達がその木を海岸に引き上げると、光は夜も発して、あたりが白昼のように変わったそうです。たまたま、この地に来ていた行基菩薩がその霊木を使い薬師如来を二体作られ、一体を醫光寺に、もう一体を武蔵野国の寺院に祀ったところ疫病が治まり、薬師湯も出たそうです。
 また、境内には六地蔵尊(地獄能化・餓鬼能化・畜生能化・修羅能化・人間能化・天上能化)と水子地蔵尊も祀られています。
 平成15(2003)年、現住職が法灯を引き継ぐ際に、重さ2.2トンの大梵鐘が建立されました。撞木の下には、両界曼荼羅(胎蔵界・金剛界)の諸尊を表した石が敷き詰められており、そこに立つことで自分が1875尊と一体化され、心身が浄められ、迷いの闇から救ってくれるといわれています。梵鐘の前には邪悪な心を掃除してくれるといわれる浄心小僧が祀られています。
 なお、御本尊の薬師如来は「医光寺・木造薬師如来坐像」として、令和2(2020)年12月24日に富津市有形文化財に指定されました。
 富津市の資料によれば、木造薬師如来坐像は、鎌倉から南北朝時代に制作されたと考えられています。
 像高は52・3pで、左手に薬壺を持ち、右手は施無畏印(せむいいん)を作り、結跏趺坐(けっかふざ)しています。台座は蓮華座、光背は円光背です。大部分をカヤの一木で造り、木芯を残して内刳を残さない構造から、地元仏師の作だと考えられています。

 衣文線が自然で、面部の造形も秀麗なこの仏像は、仏教美術品として優秀なだけでなく、富津市の中世社会を知る資料として貴重なものです。

所在地 富津市富津1800
御朱印 300円(上総國薬師如来霊場の第7番、新上総國三十三観音霊場第22番、地蔵菩薩)
※書置きは専用台紙になります
※住職が不在の場合は専用台紙の書置きのみとなります。御朱印帳への記載を希望する方は、事前に問い合わせて下さい
〈問合せ〉
電話番号 0439(87)2826 摩尼山 醫光寺
http://ikouji.la.coocan.jp/
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