円如寺の正式な寺名は山王山薬王院円如寺(さんのうざんやくおういんえんにょじ)で、真言宗智山派の寺院です。
寺伝によれば、行基菩薩が神亀2(725)年、現在の君津市箕輪に入定寺を開山、関東八州の天台宗の本山として隆盛したといわれています。円如寺はこの寺の末寺の一つで、後醍醐天皇の孫にあたる教慶法親王が應永2(1395)年に山王前に伽藍を建立したことをもって創建とされています。その後、元亀2(1571)年に伽藍が現在の場所に移転されたそうです。
戦国時代、久留里城主里見氏と小田原北条氏との争いの中、本山の入定寺の座主が北条側についたため、入定寺とその末寺のほとんどは廃寺となってしまいました。しかし、円如寺は幸い廃寺を免れました。その際に、真言宗に改められたと伝えられています。
江戸時代には、久留里藩主の黒田公の祈願所となり、久留里城廃城後も昭和初期に至るまで、かつて城内に祀られていた黒田家の位牌が円如寺に安置されていたそうです。なお黒田家の菩提寺は埼玉県飯能市にある能仁寺です。
昭和9(1934)年、弘法大師1100年御遠忌を記念して四国八十八カ所霊場の移しの霊場が円如寺に設けられました。本堂裏山を廻るコースになっており、弘法大師御影の石碑が並んでいます。後に裏山は公園として造成され、新久留里公園として地域の人々に親しまれています。 |