『久留里神社御由緒』によれば、久留里神社は初めは細田妙見といい、細田山妙見寺という真言宗の寺院に属していたそうです。その後、明治維新の際の神仏分離令によって、妙見菩薩を天之御中主命として、明治4(1871)年に郷社に列せられました。
細田妙見は、平安中期の治安元(1021)年、妙見菩薩を氏神とする千葉氏の祖先、上総介忠常が細田妙見宮を創建したとされています。
治承4(1180)年、石橋山の合戦で敗れた源頼朝が房総に渡り、東六郎大夫胤頼を道案内にして細田妙見にたどりつき、3日泊まり、戦勝祈願をしました。数日すると千葉介常胤一族が1万の戦士を率いて頼朝に拝謁し、味方に加わり神前に誓いました。これにより頼朝は戦勝を重ね、関東の兵は残らず旗下に属したと伝えられています。
建久3(1192)年、鎌倉幕府創建に千葉一族が貢献した恩賞として、東六郎太夫胤頼に上総の国望蛇の地を与え、名を久留里左右衛門胤頼と改めさせました。そして源頼朝は戦勝祈願成就として細田妙見を立て替えさせ、同年7月22日に、久留里戸張に細田妙見宮を遷宮したとされています。
この久留里戸張が現在の久留里神社の所在地となり、現在も7月22日が例大祭の日になっています。
このように、久留里神社は、妙見信仰と千葉氏とのかかわりが深い神社であり、千葉氏が守護神として祀っていた『妙見様』である千葉市にある千葉神社の真南に位置しています。 |