圓明院の正式な寺名は清水山圓明院(せいすいざんえんみょういん)で、真言宗智山派の寺院です。
圓明院は、鎌倉時代初期ごろの開創と伝えられていますが、開山等は不詳です。寺伝によると、鎌倉時代にこの付近に関東第一といわれた入定寺という寺院があり、この末院として建立されたとも伝えられています。この入定寺は修験道を継承する寺院で修験の行人の修行の場として圓明院の裏山(およそ2q後方山頂)の船塚山の頂に秋葉山三尺坊威徳大権現を勧請していました。圓明院はこの三尺坊権現の別当寺院として役割を果たしていたと考えられています。
戦国時代に北条氏と豊臣氏の争いの中で北条氏に加担した入定寺は一夜にして焼き討ちにあい、配下の寺院20数カ院がこの期にことごとく廃寺となったと伝えられています。圓明院もこの難を逃れることができず、一時期無住の時期を迎えたようです。
江戸時代に圓明院再興の兆しが見え始め、1650年頃には再建されたと伝えられています。1670年頃には、境内が整備され、享保年間に秋葉三尺坊権現を勧請し(現在の秋葉神社)、一千座の護摩供法要を勤修したと伝えられ、これを契機に三尺坊の御利益は、広く世に知られることになったようです。この頃より本堂・庫裡・大日堂・子安観音堂・秋葉社・御霊社・出羽三山塚等の境内整備が進み現在に至っています。
本堂は、境内の坂道を上った、周辺を一望できる高台にあり、千葉県最大級といわれる梵鐘を配した鐘楼があり、本堂の奥に黄金色に輝く娑羅漢音の姿を拝むことができます。
境内には樹齢千年以上とも伝えられるかやの大樹があり、現在もなお二年に一度、実を付けます。このかやの大樹は熊野権現より箕輪(君津市箕輪)の入定寺(関東第一山といわれた平安中期より安土桃山時代の大寺)に詣でた僧侶が懐中していたかやの実がここに根をはり、圓明院の開創のきっかけになったとも伝えられています。
圓明院には御本尊の不動明王のほか、秘仏の一願聖天、秋葉三尺坊威徳大権現、大日如来、稚児大師像、娑羅観音、大玄奘三蔵法師像等のほか、上総の七福神霊場の「福禄寿」も祀られています。 |