宇佐美は明治23(1889)年君津市に生まれ、14歳で上京、材木商で12年間修行後、26歳に独立して材木商を営みました。40歳で林業を志して全国に数千町歩の山林を求めて造林に心を燃やし植樹を行ったほか、神社仏閣の建立、社会教育に尽力し、87歳で天寿をまっとうしたそうです。
戦争体験者である宇佐美は、昭和20(1945)年3月の東京大空襲の時、町会長と消防団長を兼務していたため東京に居ました。下町は一面火の海となり避難しながら逃げ歩き、命は助かりましたが、下町に戻ってみると犠牲者が山のようになり、その光景を見て「どうにかせねば」と奮い立ち、戦後、建設委員長として下町の富岡八幡宮を支援し、戦没者慰霊から改めて世界平和を唱えるべき大きな願いである東京湾観音の建立に繋がりました。
昭和31(1956)年の構想から5年に及ぶ歳月をかけて、宇佐美の指揮のもと多くの従事者の努力と地域の人々の協力により、昭和36(1961)年9月に完成しました。長い工期の間一件の事故もなく、全て計画通りに進行できたのは観音様のご加護であるといわれています。
当時最高の建築技術で建てられた東京湾観音は、建築物としても大変興味深いものとなっています。56mの御姿を支えるため地下10mに16本の柱が埋められ、御姿の中心にある直径3mの軸によって全体が支えられています。内部は20階もの部屋に分けられ、らせん階段が御姿の中心軸に沿って作られています。建立に使われた鉄筋は280トン、砂利5000立方メートル、セメント1万体。さらに足場、木枠など膨大な資材が必要でした。総工費用は当時の金額で1億2千万円が投じられたそうです。 |