鶴峰八幡神社(富津市)

 富津市の新舞子海岸近くにある鶴峰八幡宮は古くから天羽郷のうち15か村の鎮守で、明治12(1879)年には郷社に列せられた神社です。御朱印には3柱の祭神の朱印と共に、鶴の朱印が押されています。
 鶴峰八幡宮の由緒によると、元正天皇の養老2(718)年、一説では清和天皇の貞観2(860)年に八幡浦が大きな風と波に見舞われて収まらず、漁師が困窮していました。この時、国司の夢枕に「八幡様にお祈りしなさい」とお告げがあったので、祈願をしたところ、風や波が収まりました。そこで漁師たちは神社を創建、八幡様を勧請してご神徳を奉謝したのが始まりと伝えられています。
 その後、源頼朝が安房から北上してこの地を通った際、武運長久を祈願して、短刀を奉納したとも伝えられています。
 更に、室町時代に房総に進攻した武田氏の一族が、真里谷氏と名乗って佐貫城に入った際、鶴峰八幡宮を城下西方の守護神として尊崇しました。永正4(1507)年11月28日の棟札がその証左としても残されています。この時の当主は武田式部太夫源朝臣信綱でした。
 真里谷氏に代わって佐貫城主となった里見氏は、社領3千石を寄進、特に里見義弘は太刀一振を奉納し、祈願しました。
 江戸時代に入っても、佐貫城主の内藤家長が30石を寄進。次いで寛永16(1639)年には松平勝隆及び重治も20石を寄進しました。宝永7(1710)年、佐貫に入府した阿部氏も20石を寄進、特に阿部因幡守は20石と山林7町7反7畝を寄進しました。
 明治27(1894)年には御社殿が修造され、昭和4(1929)年の改修工事では御本殿の屋根を銅板葺きに、同時に幣殿、拝殿を新築しました。平成2(1990)年7月1日には神社本庁神社振興対策指定神社となり透塀を新築、境内参道の敷石工事を完了しました。
 鶴峰八幡宮の主祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)、相殿神として玉依姫命(たまよりひめのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)の3柱が祀られています。境内には天照皇大神宮、八坂神社、日枝神社、高良神社、若宮八幡神社、粟島神社、武内神社、亀甲神社、富士浅間神社、天神社、竈神社などの摂社・末社も祀られています。
 社宝としては、古文書、奇異の石棒、狛犬、灯篭、豆腐石、永正4年再興棟札があります。この棟札は、永正4(1507)年、武田信嗣・信秋により再興された際に奉納された棟札で、昭和58(1983)年に富津市の有形文化財に指定されています。(非公開)
 駐車場に車を停めると、二の鳥居の前に厳島神社があります。この神社には天明の飢饉でも枯れずに近隣の人々を救った「延命の井戸」があります。
 また、二の鳥居正面の石段の両側にある大きな御影石は「豆腐石」と呼ばれ、寛政11(1799)年頃、佐貫城家老の白井六郎衛門が、大坪の浦の海中から引き上げさせたといわれており、海中にはまだ2個残っているという説も伝えられています。
 境内には先に記した摂社・末社が祀られているほか、海上安全を祈願した「錨」が奉納されています。
所在地 富津市八幡字鶴屋敷143
御朱印 初穂料300円

〈問合せ〉
TEL0439(66)0336 鶴峰八幡宮 社務所
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