鹿野山と君津市20世紀遺産
 鹿野山は、東の白鳥峰、中央の熊野峰(薬師峰ともいう)、西の春日峰からなり、清澄山、鋸山と並び房総三山に数えられています。古くから神仏ゆかりの地として知られ、多くの信仰を集めて霊場として賑わってきました。また、江戸時代から明治時代にかけて、文人・画家や多くの人々が訪れています。
 君津市では20世紀に市内で築造、発掘又は発見された建物、道、橋、風景などのうち、21世紀に引継ぎ後世まで残していくべき貴重なものを「20世紀遺産」として指定しています。鹿野山にはこの「20世紀遺産」として「鹿野山九十九谷」「芭蕉句碑」「鹿野山道」「福岡の桜並木(鹿野山参道碑)」が指定されています。
 鹿野山九十九谷
 白鳥神社下の九十九谷展望公園からは、高宕山などの上総丘陵が幾重にも連なる山並みの風景を一望できます。それらを総じて「九十九谷」と呼びます。
 特に、夜明け前から日の出直後と日の入り前の情景は素晴らしく、九十九谷の山並みに浮かび上がる雲海が眼下に広がり、その姿はまるで墨絵の世界のようです。また紅葉の時期には、緑と紅の鮮やかなコントラストから、徐々に山全体が紅に染まっていく様子が楽しめます。
 その景観の素晴らしさから、「房総の魅力500選」「ちば眺望100景」に選定されています。また、文化勲章受章の日本画家 東山魁夷画伯の出世作「残照」は、この眺望を基に描いた作品です。

 芭蕉句碑
松尾芭蕉に関する句碑は全国各地にありますが、君津市にも芭蕉句碑と呼ばれるものが鹿野山付近に7基ほど現存しています。その一つが小糸の荻作にあります。
 芭蕉が生前に上総に足を踏み入れた記録がないため、句碑は芭蕉没後の文政から天保年間に、芭蕉の系列を引く地元の門弟たちによって、追善供養と自らの俳諧の向上を願って建立されたものであると考えられています。
 この句碑の表側には芭蕉の句「枯れ芝や満た陽炎の一二寸」と、その下には芭蕉の名前と「小糸連中」の名が刻まれています。
 鹿野山道
 鹿野山の山頂にある神野寺に至る信仰の道を鹿野山道と呼び、佐貫方面からの西参道、上総湊方面からの南参道、久留里・西粟倉方面からの東参道などがありますが、最も利用が多かったのは、小糸の福岡方面からの北参道といわれています。
 山道を登りつめると、西粟倉からの東参道と合流します。山頂の神野寺、さらに進み二手に分かれた道を右に行くと佐貫へ向かう西参道、左に行くと上総湊へ向かう南参道に至ります。
 福岡の桜並木(鹿野山参道碑)
 この道は鹿野山道の北参道であり、現在の上皇陛下のご生誕を祝して、地元青年団により、昭和9(1934)年から昭和11(1936)年5月にかけて、約1000本の桜が植栽されました。このため北参道の登り口の両脇には今も桜並木が続いています。
 また、参道入口にある高さ約2メートルの「鹿野山参道碑」の碑文は、久留里出身の書の大家「千代倉桜舟」が若干20歳のときの大書であり、碑の背には1000本の桜が植栽された経過が刻まれています。
問合せ TEL0439(56)1325 君津市 観光課