富津埋立記念館
 かつて富津は、遠浅で豊かな海をもつ好漁場として栄え、数多くの魚類・貝類・海苔などが水揚げされ、江戸前の食の文化を支えてきました。しかし、社会経済範囲の広がりにより富津沖は埋立が進み、海はその姿を変えてきました。
 富津埋立記念館は、漁に使用した船や器具の展示を通して、かつての海の姿を偲び、郷土の歴史や産業の様子を後世に伝える施設です。現在の工業地帯で、かつて行われていた漁業を身近に感じて下さい。
 
 この富津埋立記念館は平成5年4月27日に開館しました。現在この建物が建っている場所は埋立地で、昭和53年4月の埋立工事開始前までは砂浜となっており、春から夏にかけては潮干狩り、冬には海苔養殖が行われていました。 
 富津岬には東京湾に突き出た長い砂州を持ち、江戸の守護として江戸時代より砲台が置かれていたことから、記念館の受付ホールの上部は、この砲台をモチーフに設計されています。また、建物のイメージは富津地域に昔から伝わる漁法の「すだて漁」をモチーフに設計されており、建物の平面形態にその形を取り入れています。
 海の幸を求めて
 富津埋立記念館は、富津沖埋立事業を記念し建設された施設です。
 東京湾の埋立事業が進むにつれて姿をかえてきた漁業を、漁に使用した器具の展示や、漁の様子を撮影したビデオ等で紹介しています。中でも今と昔ののり採りを撮影したビデオは、その違いがはっきりとわかります。

 主な展示内容
○のりをとる技術
 
江戸の海苔問屋、近江屋甚兵衛によって小糸川周辺にのり養殖が伝えられそこから広く房総にのり養殖が伝わり行われるようになりました。幾多の困難や失敗を乗り越え広まっていったのり養殖でしたが、現在のような安定した高い収穫を得られるようになり、のり養殖がしっかりと根づくには、富津の人、平野武治郎(ひらのぶじろう)の登場を待たなければなりませんでした。
 大堀村の平野武治郎の多年にわたる試行錯誤によって改良され、明治30年に発表された「海苔?建(ひびだて)移植法」によって飛躍的に進歩しました。この移植法は大正3年の大正博覧会で金牌を受賞しました。
○貝をとる技術
 
富津の漁の長い歴史を支えてきた大きな柱に貝採取漁があります。昭和初期頃からのバカ貝の大豊漁、ろくろと呼ばれる巻き取り機で網を巻き取り、バカ貝を大量にとり、街を潤しました。
 明治13年から始まった潜水漁は、平貝・ミル貝・トリ貝・バカ貝・アサリなど、潜水器を使って海に潜って採ってくるという特殊な方法で、街を支えてきたのです。
○魚をとる技術
 
豊かな海の幸を育んできた東京湾、その豊かな海を目の前にした富津は多くの名漁師を育て、富津の漁業は日本全国にその名を轟かせました。
 富津の漁業が有名だったのは、海の豊かさのためばかりではありませんでした。このあたりの海は海流や海底の地形などの変化が多いので、そこに住む魚や貝の種類もさまざまです。多種多様な海の幸をより効率よく得るため、富津の漁師は様々な漁法を開発、あるいは取り入れ、海の幸を追い求めて海へ向かったのです。
所在地 富津市新井932‐3
休館日 月曜日(祝休日と重なる場合はその翌日)、祝日、年末年始
開館時間 9時〜17時
入館料 無料
交通 青堀駅から富津公園行バス 新井下車徒歩1分
駐車場 普通車10台 (富津公民館駐車場利用可/普通車220台 大型6台):駐車無料
その他 平日の入館は、隣接の富津公民館へ申し出て下さい

〈問合せ〉
TEL0439(87)8381 富津市富津公民館