日本遺産候補地域認定

のこぎり山バーチャルツアーフェスタ2022

 鋸山は『天空の岩山が生んだ信仰と産業〜房州石の山・名勝地鋸山は自然と歴史のミュージアム〜』というテーマで、令和3(2021)年7月16日に日本遺産候補地域として認定され、2年後の令和6(2024)年に行われる文化庁の総括評価による日本遺産正式認定を目指しています。
 鋸山には「地獄のぞき」や通称「ラピュタの壁」などの断崖絶壁が名勝となっている一方、「石切り場」「車力道」など江戸期より行っていた房州石の採石の遺構が今でもたくさん残っています。
 鋸山にある日本寺には「薬師瑠璃光如来」という総高31・5mの大仏があります。鎌倉の大仏の約2倍の大きさで、座像の石仏として日本一の大きさを誇ります。また、その数で世界一の羅漢像を誇る「千五百羅漢」や山の岩肌を削って6年かけて作られた巨大な「百尺観音」もあります。
 今回のイベントは、鋸山の認知度向上と魅力の再発見をテーマとして、多くの方へ鋸山を知ってもらうと共に、地域の日本遺産化に対する機運向上を目的としたもので、VR映像体験のほか、ミニ講演会、鋸山資料館出張展示が行われます。
 この機会に鋸山の魅力に触れてみてはいかがでしょうか。
日時 11月27日(日) 10時〜16時
会場 ザ・フィッシュ1階  レストラン内特設会場(富津市金谷2288)

▽ミニ講演会「のこぎり山の魅力と可能性」
時間 10時〜10時30分
内容 江戸期から続いた鋸山の石切りの末裔が語る、鋸山の魅力と未来の展望
講師 鈴木裕士さん(金谷ストーンコミュニティー代表)
定員 20名(先着順)
参加費 無料
申込み 当日会場にて

▽のこぎり山バーチャルツアー「VRでバーチャル体験する新しいのこぎり山体験」
時間 11時〜12時、13時〜16時(各時間帯20分毎の開催、1回約15分)
内容 最新VR映像で、今までみたことのない視点から鋸山をバーチャル体験
定員 150名(先着順)
参加費 無料
申込み ホームページより
https://nokogiriyama-vr.com/
 ※ 当日配布される整理券受取りにより、当日参加も可能

▽鋸山資料館出張展示「もっと知りたい!のこぎり山」
時間 10時〜16時
内容 鋸山資料館に展示されている、貴重な房州石や資料を特別に出張展示
入場料 無料
申込み 不要。直接会場へ

主催 富洋観光開発梶@
後援 千葉県 

〈問合せ〉
TEL0439(69)2161
レストラン&マーケットプレイス「ザ・フィッシュ」



チラシ
 
鋸山ページに広告をお考えの方はご連絡ください。
TEL.0438-20-1110
 
房総ファミリア
2021/ 10/2号



鋸山認定応援企画
第一弾PDF

<山の見どころ扁>
 
房総ファミリア
2021/ 10/2号



鋸山周辺図
 
日本寺にある
日本最大の仏像

 
房州石のポスト
シャロン・ポストーン
 
日本寺の御朱印
 
房総ファミリア
2022/ 10/1号


鋸山認定応援企画
第二弾PDF

<文化人扁>
 
 
 
 
 

 



10月3日は登山の日!

10月3日は「登山の日」です。 この記念日は、日本アルパイン・ガイド協会のメンバーが発案して、平成4(1992)年に日本山岳会が制定したそうです。日付は日本山岳会が明治38(1905)年10月に発足したことと、「登山・と(10)ざん(3)」と読む語呂合わせから決められ、山に登ることで雄大な自然に触れ、自然の素晴らしさを知り、その恩恵に感謝する日という意義が込められています。
 ちなみに、日本アルパイン・ガイド協会は正しい登山の普及・発展を目的に、レスキュー講習会の実施や登山学校・ガイド養成学校の開校を行っている一般社団法人で、日本山岳会は、アルピニズムから日本的な山旅までの登山活動及び、高所医学の研究、自然保護活動、出版や講演、啓発活動などの社会貢献を多岐に進めている公益社団法人です。

日本遺産候補地域認定〜2021年7月16日(金)〜

鋸山の魅力をさぐる!

産業遺産鋸山の不思議で神秘的な世界、ぜひ一度、お楽しみください。

 房総半島は最高峰が標高400m台で、初心者でも気軽に登れる山がたくさんあります。そこでは、歴史や四季折々の景色や自然を体感し、登山やハイキングを楽しむことができます。
 そんな房総の山の中で、今回は7月16日(金)に「日本遺産の候補地域」に認定された「鋸山」を紹介します。
 日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーを認定し、 ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援する文化庁の取り組みです。
 今回、候補地の指定を受けたことで、富津市と鋸南町は文化庁の支援を受けながら、鋸山を「天空の岩山が生んだ信仰と産業 〜房州石の山・名勝地鋸山は自然と歴史のミュージアム〜」というストーリーで、両市町にまたがる「鋸山」を舞台に展開した、歴史・芸術・文化の特色や魅力を国内外に向けて最大限に発信していくための事業を3年間共同で行い、次の日本遺産認定を目指します。
 ◆ 正式な名称は乾坤山(けんこんざん)という。
乾坤は天地の意。日本寺の山号となっている
 


切り立った岩肌が特徴の鋸山。
かつては建築資材などとして盛んに採石が行われていたため、岩が露出した鋸のような山となりました。その見た目から鋸山と呼ばれていますが、正式名称は、乾坤山(けんこんざん)と言います。
展望台からの眺めは素晴らしく、遠くは富士山、伊豆大島から東京湾一体を見渡すことができます

山は凝灰岩から成り、建築などの石材として適している。
そのため古くは房州石と呼ばれ、良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われた(石切場跡が現存する)。
結果、露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることからこの名で呼ばれるようになった。

▼房州石(ぼうしゅういし)

鋸山は、火山噴出物が海底で長い年月をかけて固まった凝灰岩でできています。加工しやすくまた耐火性があり竃や七輪などにも使われ庶民に親しまれました。
「房州石」と呼ばれたこの石は建築資材に適し、江戸時代中頃から明治から大正にかけての最盛期には年間約56万本が切り出されました。今でも麓の町金谷では、石塀、門柱、蔵、建物の土台、灯篭などに房州石が使用されています。
また、横浜の開港、台場の整備、皇居の造営など、東京湾岸の土木建築工事に使用され、日本の近代化を土台から支えました。
索道跡 ※鋸山マップ内@

「索道跡」は、山頂域の石切り場と麓をワイヤーケーブル(索道)で繋いだ、石材運搬システムの跡です。
急勾配の「鋸山」から房州石を産出することは、現地の遺構、歴史的資料等が示すように、大変な重労働でした。
この山麓に残る「索道跡」は、「索道」の終点で、段差にトラックの荷台を付けて石材を積み込みました。
▼車力道(しゃりきみち)※鋸山マップ内A

江戸時代から昭和60年まで「房州石(ぼうしゅういし)」を切り出していた鋸山。 石切りは男性が行い、車力(しゃりき)と呼ばれる女性が石を麓まで運んでいました。 機械化される昭和35年頃まで1本80kgの石3本を麓まで運ぶ作業を1日3往復も行っていました。 現在も残るその道の事を「車力道(しゃりきみち)」と呼んでいます。
ルートには、石畳と車力達が石を運ぶ時に使用した、ネコ車(ねこぐるま)とよばれる荷車の轍(わだち)が残され、石切場跡には荷下ろし場や、機械化がされた当時の重機が残っており、当時の様子を偲ばせます。現在では産業遺産として改めて注目されている場所です。

☆新スポット!
○猫丁場(ねこちょうば))※鋸山マップ内C


鋸山には、石切り場跡が数多く存在し、そのなかに車力道の山腹付近に「猫丁場」と呼ばれる石切り場があります。
山の中腹にある石切り場は、これまで見学できる場所がありませんでしたが登山道、および石切り場周辺の整備を終え、見学が可能になりました。
終点の石切り場の名残のある石壁には、名前の由来となった猫が彫られています。

 
▼切り通し跡 ※鋸山マップ内E

「切り通し」は岩壁を切り抜き作った道です。採石する際、良質な石材を求めて切り下ることになり、石切り場周辺が岩壁で囲まれた状態になります。そのため、石材やズリ(石の屑)の搬出道を作る必要があり、これを「切り通し」と呼び鋸山の至る所でみることができます。
大規模な石切り場は「切り通し」を伴うことが多く、これを地元では「口抜き」と言いました。「切り通し」を通過すると石材を集積する「平場」があり、そこが石材を滑り下ろす滑り台である「樋道」の起点になるのが通例です。「切り通し」両側の壁面にも、石を切り出した跡が横縞模様となって残っています。

▼岩舞台 ※鋸山マップ内G

鋸山には、大小規模の「石切り場跡」が数多く点在しています。産業としての採石は江戸時代後期から始まり、最盛期には30軒ほどの石の元締めがあり、金谷は石の町として栄えました。
この岩舞台は、昭和60年まで採石を続けた最後の石の元締め、芳家石店(鈴木四郎右衞門家)の石切り場跡です。「安全第一」の文字の上あたりで、ツルハシで切った跡からチェーンソーの跡に変わり、機械化された昭和33年当時の石切り場がその高さであったことがわかります。

▼樋道跡(といみちあと)※鋸山マップ内H

鋸山の山頂域の石切り場から切り出した石材は、まず「樋道(といみち)」という石の滑り台を滑らせて山腹へ下ろします。
「樋道」には必ず石段が併設されます。石段は、石材が滑り降りる速度を調節する作業者の足場になり、麓から石切り場まで朝晩往復するための通路としても使われました。
☆新スポット!
▼ラピュタの壁 ※鋸山マップ内I

金谷から見た鋸山は、西に東京湾と富士山を望み、ギザギザとした断崖が東西に連なり、迫力のある景色を構成しています。
窓のように開いた横穴は、良質な石材を求めて地層に沿い、奥へと切り進みできたものです。驚くほど垂直な、そして淡々と同じ間隔で石が切 り取られた跡は、まるで巨大な彫刻のようです。
最大垂直面96m の絶壁である石切り場跡は、その壮大な景観から、天空の城ラピュタを連想させ、いつしか「ラピュタの壁」と呼ばれる様になりました。
▼登山の注意点
服装・履物について ●靴は、しっかりとしたものを着用しましょう。捻挫などにつながります。
(少なくとも運動靴。登山用の靴をおすすめします)


●服装は、基本的に、帽子の着用+長袖長ズボンをおすすめします。
直射日光を遮るだけでなく、時期により、ヒル・ハチ・アブ・マムシなどに遭う恐れがあります。

●荷物は両手があくリュックをおすすめします。
夏季は、熱中症対策を入念に、飲み物は想定量より多めに用意してください。
(※登山道上に飲料の自動販売機はありません。自動販売機があるのは、ロープウェー山麓・山頂駅・日本寺西口管理所前・日本寺大仏広場のみです。)
汗拭き用のタオルなどもご持参ください。

●ウェア選びのコツ
登山ウェアは、体温調節しやすいように重ね着するとよいでしょう。基本は、被服気候(衣服と皮膚の間につくられる空間の気候)を快適に保つよう、調整しやすいウェアを選びます。

▼登山のマナーと諸注意
●15時を過ぎての入山はなるべくお控えください。とくに冬季はロープウェーも16時で終了します。暗くなると現在地や方向を見失う恐れが大きくなります。

●登山前に登山計画書の提出をお願いしています。JR浜金谷駅、金谷ステーション、東京湾フェリー金谷港に設置してあります。

●富津市観光協会公認ルートをご利用ください(車力道、関東ふれあいの道)。
 その他のルートは、崩落、未整備箇所などがあり、危険を伴う場合もあります。

●国定公園内のため、クライミングは禁止されています。

●国定公園内のため、火気、キャンプは禁止されています。

●ドローン撮影について 安全面の理由より、鋸山ロープウエー及び日本寺敷地内はドローン禁止となっております。それ以外の場所についても、私有地が多く点在しており、また、多くの登山客の安全の確保・文化財保管のためドローン撮影は禁止とさせていただいております。(富津市観光協会金谷地区)
 
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房総ファミリア
2021/ 10/2号



鋸山認定応援企画
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<山の見どころ扁>
 
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鋸山周辺図
 
日本寺にある
日本最大の仏像

 
房州石のポスト
シャロン・ポストーン
 
日本寺の御朱印
 
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鋸山認定応援企画
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<文化人扁>
 
 
 
 
 

 


日本遺産候補地域認定〜2021年7月16日(金)〜

鋸山の魅力をさぐる!

産業遺産鋸山の不思議で神秘的な世界、ぜひ一度、お楽しみください。

 ◆ 文化人をも魅了した「鋸山」 
〜鋸山にまつわる作品たち〜
▼書籍
夏目漱石『木屑録(ぼくせつろく)』

明治22(1889)年、若き日の夏目漱石から友人正岡子規に宛てた漢文による房総旅行記。
漢文は現代人には難解ですが、現代語訳や解説書も出ています。

『夏目漱石の房総旅行 「木屑録」を読む』(斎藤均著 崙書房出版 1992)
『漱石の夏やすみ 房総紀行「木屑録」』(高島俊男著 朔北社 2000)
『漱石の夏休み帳 房総紀行「木屑録」』(関宏夫著 崙書房出版 2009)
明学生だった漱石が23歳の夏やすみに友人4人と房総旅行に出掛け、その見聞をしるした漢文紀行です。
▼漱石、羅漢像に会う  (参考:菱川師宣記念館)
 「どれも実に様々な姿で、表情にも富み、一つとして同じものがない。石仏を彫った石工の心づかいが知れる。配置についても、ただ一カ所に集めたのではない。最初に二百体ほどの石仏を発見し、我らは羅漢のすばらしさに感嘆したが、すぐその岩角を回ると、さらに百体ほどの石仏が並んでいる。頭上を見上げれば、巨大な岩が群がり、今にも崩れ落ちそうだ。恐ろしくて目を転じると、岩の上にもまた数十体の石仏。また狭い道を進んで尽きたところに、洞窟が広々と口を開け、羅漢がぎっしりと並んでいる。我々は歩むに従って異なった景観を見せられ、優れた羅漢像たちが予想外の場所に現れるのを見て喜んだ」。

正岡子規『かくれみの』

漱石の「木屑録」に触発され、明治 24(1891)年、子規も房総にやってきました。市川から成田、大多喜、小湊、鋸山を廻った旅日記です。
子規は鋸山へ登った際に、「山から盛んに石が切り出されている。百年後には鋸山は地図から無くなってしまうのでないか。」と危惧する様子を日記につづっています。

『かくれみの街道をゆく 正岡子規の房総旅行』(関宏夫著 崙書房出版 2002)
松本清張 『連環』(講談社:1962年11月

虚構に生きる男が、追跡者の執念にあえなく自滅してゆく過程を描く傑作。

鋸山ロープウェイができたころが舞台となっており、石切場や五百羅漢を通って山を登り内房の海岸線を俯瞰する。

▼吉行淳之介 『鋸山心中』(小説新潮:1988年9月)

淳之介は大正13(1924)年4月13日、父:エイスケ(モダニズム詩人)と母:あぐり(美容師)の長男として岡山県岡山市に生まれ、東京麹町(現:千代田区麹町)に育った。淳之介が小学校低学年であった昭和7(1932)年から9年頃、避暑のために竹岡村・金谷村(現:富津市)を何度か訪れている。この時の回想が、後年『鋸山心中』という短編小説となって発表されている。
文中に出てくる竹岡駅は昭和5(1930)年8月に開設されており、駅ができて間もない頃であった。この時代は、上海事変、五・一五事件、小林多喜二の検挙、虐殺などが相次いで起きた暗い緊迫した世相であり、房総沿岸は要塞地帯指定で写真撮影もままならなかった。そんな時代背景でありながら、この作品には当時の竹岡周辺の、のどかで風光明媚な漁村風景が描かれている。

▼浮世絵
浮世絵師・歌川広重の連作『不二三十六景』
36:安房鋸山(あわのこぎりやま)


「安房鋸山」は手前に鋸山、奥に浦賀水道越しの富士山を描いた図で、広重は嘉永5年2月に房総半島を旅行して鋸山を訪れ、『房総行日記』を記している。
▼日本寺境内には小林一茶や長谷川馬光などの句碑も建立
▼長谷川馬光

引きおろす鋸山の霞かな
小林一茶

阿羅漢の鉢の中より雲雀かな
 ◆ 正式な名称は乾坤山(けんこんざん)という。
乾坤は天地の意。日本寺の山号となっている
 


切り立った岩肌が特徴の鋸山。
かつては建築資材などとして盛んに採石が行われていたため、岩が露出した鋸のような山となりました。その見た目から鋸山と呼ばれていますが、正式名称は、乾坤山(けんこんざん)と言います。
展望台からの眺めは素晴らしく、遠くは富士山、伊豆大島から東京湾一体を見渡すことができます

山は凝灰岩から成り、建築などの石材として適している。
そのため古くは房州石と呼ばれ、良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われた(石切場跡が現存する)。
結果、露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることからこの名で呼ばれるようになった。

 
鋸山ページに広告をお考えの方はご連絡ください。
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鋸山認定応援企画
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<山の見どころ扁>
 
房総ファミリア
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鋸山周辺図
 
日本寺にある
日本最大の仏像

 
房州石のポスト
シャロン・ポストーン
 
日本寺の御朱印
 
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鋸山認定応援企画
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