10月3日は「登山の日」です。
この記念日は、日本アルパイン・ガイド協会のメンバーが発案して、平成4(1992)年に日本山岳会が制定したそうです。日付は日本山岳会が明治38(1905)年10月に発足したことと、「登山・と(10)ざん(3)」と読む語呂合わせから決められ、山に登ることで雄大な自然に触れ、自然の素晴らしさを知り、その恩恵に感謝する日という意義が込められています。
ちなみに、日本アルパイン・ガイド協会は正しい登山の普及・発展を目的に、レスキュー講習会の実施や登山学校・ガイド養成学校の開校を行っている一般社団法人で、日本山岳会は、アルピニズムから日本的な山旅までの登山活動及び、高所医学の研究、自然保護活動、出版や講演、啓発活動などの社会貢献を多岐に進めている公益社団法人です。 |
日本遺産候補地域認定〜2021年7月16日(金)〜
鋸山の魅力をさぐる!
産業遺産鋸山の不思議で神秘的な世界、ぜひ一度、お楽しみください。
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房総半島は最高峰が標高400m台で、初心者でも気軽に登れる山がたくさんあります。そこでは、歴史や四季折々の景色や自然を体感し、登山やハイキングを楽しむことができます。
そんな房総の山の中で、今回は7月16日(金)に「日本遺産の候補地域」に認定された「鋸山」を紹介します。
日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーを認定し、 ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援する文化庁の取り組みです。
今回、候補地の指定を受けたことで、富津市と鋸南町は文化庁の支援を受けながら、鋸山を「天空の岩山が生んだ信仰と産業 〜房州石の山・名勝地鋸山は自然と歴史のミュージアム〜」というストーリーで、両市町にまたがる「鋸山」を舞台に展開した、歴史・芸術・文化の特色や魅力を国内外に向けて最大限に発信していくための事業を3年間共同で行い、次の日本遺産認定を目指します。 |
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正式な名称は乾坤山(けんこんざん)という。
乾坤は天地の意。日本寺の山号となっている ◆
切り立った岩肌が特徴の鋸山。
かつては建築資材などとして盛んに採石が行われていたため、岩が露出した鋸のような山となりました。その見た目から鋸山と呼ばれていますが、正式名称は、乾坤山(けんこんざん)と言います。
展望台からの眺めは素晴らしく、遠くは富士山、伊豆大島から東京湾一体を見渡すことができます。
山は凝灰岩から成り、建築などの石材として適している。
そのため古くは房州石と呼ばれ、良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われた(石切場跡が現存する)。
結果、露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることからこの名で呼ばれるようになった。
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▼房州石(ぼうしゅういし)
鋸山は、火山噴出物が海底で長い年月をかけて固まった凝灰岩でできています。加工しやすくまた耐火性があり竃や七輪などにも使われ庶民に親しまれました。
「房州石」と呼ばれたこの石は建築資材に適し、江戸時代中頃から明治から大正にかけての最盛期には年間約56万本が切り出されました。今でも麓の町金谷では、石塀、門柱、蔵、建物の土台、灯篭などに房州石が使用されています。
また、横浜の開港、台場の整備、皇居の造営など、東京湾岸の土木建築工事に使用され、日本の近代化を土台から支えました。
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▼索道跡
※鋸山マップ内@
「索道跡」は、山頂域の石切り場と麓をワイヤーケーブル(索道)で繋いだ、石材運搬システムの跡です。
急勾配の「鋸山」から房州石を産出することは、現地の遺構、歴史的資料等が示すように、大変な重労働でした。
この山麓に残る「索道跡」は、「索道」の終点で、段差にトラックの荷台を付けて石材を積み込みました。 |
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▼車力道(しゃりきみち)※鋸山マップ内A
江戸時代から昭和60年まで「房州石(ぼうしゅういし)」を切り出していた鋸山。
石切りは男性が行い、車力(しゃりき)と呼ばれる女性が石を麓まで運んでいました。 機械化される昭和35年頃まで1本80kgの石3本を麓まで運ぶ作業を1日3往復も行っていました。
現在も残るその道の事を「車力道(しゃりきみち)」と呼んでいます。
ルートには、石畳と車力達が石を運ぶ時に使用した、ネコ車(ねこぐるま)とよばれる荷車の轍(わだち)が残され、石切場跡には荷下ろし場や、機械化がされた当時の重機が残っており、当時の様子を偲ばせます。現在では産業遺産として改めて注目されている場所です。
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☆新スポット!
○猫丁場(ねこちょうば))※鋸山マップ内C
鋸山には、石切り場跡が数多く存在し、そのなかに車力道の山腹付近に「猫丁場」と呼ばれる石切り場があります。
山の中腹にある石切り場は、これまで見学できる場所がありませんでしたが登山道、および石切り場周辺の整備を終え、見学が可能になりました。
終点の石切り場の名残のある石壁には、名前の由来となった猫が彫られています。
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▼切り通し跡 ※鋸山マップ内E
「切り通し」は岩壁を切り抜き作った道です。採石する際、良質な石材を求めて切り下ることになり、石切り場周辺が岩壁で囲まれた状態になります。そのため、石材やズリ(石の屑)の搬出道を作る必要があり、これを「切り通し」と呼び鋸山の至る所でみることができます。
大規模な石切り場は「切り通し」を伴うことが多く、これを地元では「口抜き」と言いました。「切り通し」を通過すると石材を集積する「平場」があり、そこが石材を滑り下ろす滑り台である「樋道」の起点になるのが通例です。「切り通し」両側の壁面にも、石を切り出した跡が横縞模様となって残っています。
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▼岩舞台 ※鋸山マップ内G
鋸山には、大小規模の「石切り場跡」が数多く点在しています。産業としての採石は江戸時代後期から始まり、最盛期には30軒ほどの石の元締めがあり、金谷は石の町として栄えました。
この岩舞台は、昭和60年まで採石を続けた最後の石の元締め、芳家石店(鈴木四郎右衞門家)の石切り場跡です。「安全第一」の文字の上あたりで、ツルハシで切った跡からチェーンソーの跡に変わり、機械化された昭和33年当時の石切り場がその高さであったことがわかります。
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▼樋道跡(といみちあと)※鋸山マップ内H
鋸山の山頂域の石切り場から切り出した石材は、まず「樋道(といみち)」という石の滑り台を滑らせて山腹へ下ろします。
「樋道」には必ず石段が併設されます。石段は、石材が滑り降りる速度を調節する作業者の足場になり、麓から石切り場まで朝晩往復するための通路としても使われました。 |
☆新スポット!
▼ラピュタの壁 ※鋸山マップ内I
金谷から見た鋸山は、西に東京湾と富士山を望み、ギザギザとした断崖が東西に連なり、迫力のある景色を構成しています。
窓のように開いた横穴は、良質な石材を求めて地層に沿い、奥へと切り進みできたものです。驚くほど垂直な、そして淡々と同じ間隔で石が切
り取られた跡は、まるで巨大な彫刻のようです。
最大垂直面96m の絶壁である石切り場跡は、その壮大な景観から、天空の城ラピュタを連想させ、いつしか「ラピュタの壁」と呼ばれる様になりました。
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▼服装・履物について |
●靴は、しっかりとしたものを着用しましょう。捻挫などにつながります。
(少なくとも運動靴。登山用の靴をおすすめします)
●服装は、基本的に、帽子の着用+長袖長ズボンをおすすめします。
直射日光を遮るだけでなく、時期により、ヒル・ハチ・アブ・マムシなどに遭う恐れがあります。
●荷物は両手があくリュックをおすすめします。
夏季は、熱中症対策を入念に、飲み物は想定量より多めに用意してください。
(※登山道上に飲料の自動販売機はありません。自動販売機があるのは、ロープウェー山麓・山頂駅・日本寺西口管理所前・日本寺大仏広場のみです。)
汗拭き用のタオルなどもご持参ください。
●ウェア選びのコツ
登山ウェアは、体温調節しやすいように重ね着するとよいでしょう。基本は、被服気候(衣服と皮膚の間につくられる空間の気候)を快適に保つよう、調整しやすいウェアを選びます。
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▼登山のマナーと諸注意
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●15時を過ぎての入山はなるべくお控えください。とくに冬季はロープウェーも16時で終了します。暗くなると現在地や方向を見失う恐れが大きくなります。
●登山前に登山計画書の提出をお願いしています。JR浜金谷駅、金谷ステーション、東京湾フェリー金谷港に設置してあります。
●富津市観光協会公認ルートをご利用ください(車力道、関東ふれあいの道)。
その他のルートは、崩落、未整備箇所などがあり、危険を伴う場合もあります。
●国定公園内のため、クライミングは禁止されています。
●国定公園内のため、火気、キャンプは禁止されています。
●ドローン撮影について 安全面の理由より、鋸山ロープウエー及び日本寺敷地内はドローン禁止となっております。それ以外の場所についても、私有地が多く点在しており、また、多くの登山客の安全の確保・文化財保管のためドローン撮影は禁止とさせていただいております。(富津市観光協会金谷地区) |
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鋸山ページに広告をお考えの方はご連絡ください。
TEL.0438-20-1110
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房総ファミリア
2021/ 10/2号
鋸山周辺図
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日本寺にある
日本最大の仏像
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房州石のポスト
シャロン・ポストーン
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日本寺の御朱印

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